大磯丘陵の主峰高麗山の四季

 大磯丘陵の主峰である高麗山は、古い昔から徳川時代まで社寺の山霊域
とされ禁伐の政策をとってきたため、樹叢の深さは、県内でもあまり見られな
い貴重なものとなっています。  
 高麗山は
東天照・大堂・八俵山の三峰からなり標高わずか167.7mにす
ぎませんが、脚下の相模湾の素晴らしい遠望とともに、南斜面10ヘタール
は、神奈川県の天然記物に指定され、文化財としても保護されています。
 また、
大磯が相模湾に面しているため、暖な気候が高麗山の素晴らしい
樹林を作り出してきています。
 落葉樹が色づく頃は、見事な景観を呈し
「秋の高麗山は日に七たび変わる」
などと言われています。 
 高麗山の由来は、天智天皇(668)の七年に唐により滅ぼされた高句麗
(こうくり)の王族の一人若光(じゃっこう)が一族を率いて来航、大磯に上
陸して高麗山の麓に住みついたことからきています。
神社の名前もここから
きています。
 昔、高麗山は全山桜に覆われていたので桜山」、峰が三つに分れている
ので「鶏足山(けいそくざん)」などと呼ばれていましたが、もう一つ「ペテン山」
という面白いがあります。 江戸時代
平塚宿には、五十数軒の旅籠が軒を並
べていました。
正面のお饅頭のような高麗山をみながら、留女(とめおんな)
たちが先を急ぐ旅人の袖を引き止め、行く手をふさぐ山を指して「あの高麗山
を越えぬと大磯には行けません」と、ペテンにかけて泊めたといいます。

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撮影機種 デジタルカメラ
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高麗山は安藤広重の「東海道五十三次・平塚縄手道」の平塚図に描 かれている。道の先は花水川の流れにぶつかる。川を越えた高麗山の麓を昔、もろこしが原といった。この辺りは昔の面影を残している。

平塚市国道1号から旧東海道に入る、西組問屋場跡のあたりから前方に見える高麗山の姿は、浮世絵そのままである。

「東海道五十三次・大磯虎ヶ雨」
の大磯図は、一転して雨の情景が描かれている。右手に高麗山の麓が描かれており、松の向こうの光る海に小さな漁舟がみえる。名作の一つである。

2000 12 8 撮影 
花水橋からの高麗山
撮影者 松下弓子 撮影機種 デジタルカメラ
  2000 12 25 撮影 
 高来神社を前にした高麗山
東海道線平塚から大磯に向かう
車窓からの高麗山
 
UP
神奈川の景勝50選地
2001 1 5 撮影高来神社ニの鳥居から望む高麗山    
     2001 1 5 撮影 
   国道1号からの高麗山
2001 2 2 撮影     
2001 3 6 撮影    2005 3 25 撮影   
2001 4 6 撮影
UP
    2001 4 11 撮影           2001 4 27 撮影
   2001 5 4 撮影
   国道1号からの高麗山      
    2001 5 4 撮影
  高来神社二の鳥居と高麗山    
      2001 5 11 撮影    
UP
 2001 5 18  2001 5 25 撮影
  6月1日定刻の10時・高来神社を出発
 高麗山の南斜面を登る
こまきんの仲間達
      2001 6 13 撮影  
2001 6 18 撮影  
2001 7 6 撮影    2001 7 20 撮影
高来神社一の大鳥居からの高麗山    
UP
      2001 7 20 撮影 
    国道1号からの高麗山
    2001 8 3 撮影
    高麗山南斜面
   2001 8 14 撮影    2001 9 29 撮影
    2001 10 12 撮影   2001 11 13 撮影 
   花水川からの高麗山北面      花水川橋からの高麗山
  2001 7 25 撮影 撮影者 松下弓子 撮影機種 デジタルカメラ
 
UP
  2004 5 21 撮影 
 高麗大橋からの高麗山

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