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大磯町の開発の歴史は古く、七世紀後半の頃高麗人が渡来し、この地の原野を
開拓したという。
平安末期には、国府地区に相模国府が置かれ、近世には東海道の宿駅として
発展した。東海道本線の開通により一時衰退したが、明治18年照ヶ崎海岸
にわが国最初の海水浴場が開設されてからは、有名文化人の」ベットタウン、
別荘地として名を高めるに至った。現在もその趣は十分に感じられる町である。
東海道五十三次・大磯宿
日本橋から十六里半(約66キロ)徒歩で約16時間
天保14年(1843)宿場は、人口3056人・家数676軒・旅籠66軒・本陣3軒で
ある。宿と宿の間は、平均して10km前後の距離があるが、平塚宿から大磯宿
までは3km弱しかない。これは大磯が宿駅制度の定める、以前から宿場として
の歴史を持っていたせいであろうか。
現在、宿場の名残をとどめるものは、ほとんどないが、山王町の旧東海道と
国道1号の松並木は往時をしのばせるものがある。旧東海道の化粧坂(けわ
いざか)付近は、鎌倉時代御家人たちの遊興地とし有名であった。
曽我兄弟の兄十郎と恋仲であった遊女・虎御前が化粧をしたという「化粧井戸」
が残されている。
なお、安藤広重の「東海道五十三次・大磯虎ケ雨」は、この化粧坂付近に近い。
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